雑音を纏いながら。

本を読むのが大好きです。読んだ本をUPして感想を書いてます。→* 眠らない本棚 *



* そっと、おすすめしたい本 *

雪の練習生  多和田葉子

ホッキョクグマが紡ぐ、ホッキョクグマ三代記。不思議な世界、奇妙な視点を味わうと、自分の感覚まで曖昧に。


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あこがれ

先週は、もう本当に休んでしまおうかと何度も思っていました。


“しんどい” “もういやだ”

そればかりに囚われて、目隠しをぎゅうぎゅうしていくような夜。

3時、4時に目が覚めて、そこから眠れなくて、

どうしたら休めるか、ばかり考えている自分がいやでした。


でも、休まずに1週間が終わって、もう日曜の夜です。


1日休んでしまうと、もうずっと行けなくなる気がして、なんとか行き続けてました。

目の下に、冬眠前のクマがどんどん増えていったので、

それなりによれよれな感じはしていたのかもしれないけど。



朝6時半に家を出て、ひどく混む満員電車に乗ってると、

みんなえらいなぁ、とつくづく思うのです。


立ったままガクンガクン寝てる人も、

大きな口を開けて寝てる人も、みんな毎日どこかへ向かい続けてる。


なにか大きなことを成し遂げなくても、

淡々と毎日を生きていく人たちこそ、えらいんだと思う。



通学路に植わっていたつつじも終わって、緑が青々としていて、

光合成って、気持ちよさそう。

と、友だちに言ったら笑われてしまいました。


だけど、本当にそう思う。

体の中に緑色の葉緑体があって、酸素を作り出せるって清々しいし、

みるみる生き返ることができそうで、私もしてみたいです。


光合成という言葉自体、久しぶりに思い出したけど、5月の空の下で緑たちは本当にうれしそう。



ずっと勉強をしなきゃ、しなきゃ、しなきゃ…とじりじり焼かれてるけど、

できれば、もう少し心に栄養をやりつつ暮らしていけたらいい。


しんどい気持ちも、光合成みたいにすーっと出していけたらいいな。

そんな約束はない

久しぶりに、たくさん泣きました。



うすうす感じてたけど、ずっと見ないフリ、気づかないフリをしてて、

でも、そういうフリにもずいぶんと疲れてしまっていたらしい。


気づいてしまったら、もう全部がダメな方へ流れていく気がして、

私はずっと、昔から同じところばかりぐるぐる回っている気がして、

それがとても怖かった。


また、寝込んでしまって、朝起きられなくなるのが、ずっと怖かったです。



自然の移り変わりに心が揺れるのも、

イヤホンから流れる音楽がいつもより大きく感じるのも、

朝の大阪駅でヘリコプターになりたいと思うのも、

みんな、合図だった。


自分へのそこはかとない違和感。

声が、話し方が上滑りして、そのままずっとズレていく感じ。


こういう風に感じるのも、沈んでるからだって、

沈んでるなりに、毎日なんとか行けてるのは成長のしるしだって、

そう思い込もうと、ずいぶんがんばっていたらしい。


低空飛行のまま、ぷーんと飛び続けて、ごまかしつつやっていけるって、思い込もうとがんばってた。



それも、本当の私。


がんばり続けられません、と小さく合図を出し続けてたのも、本当の私。



私が私じゃなかったら、

すぐにでも手放すのに、こんなのはイヤだ、って、言いながらぼたぼたと涙がこぼれました。

鼻も詰まるし、泣くというのはこんなにもみっともなかったんだなぁと思いながら。



シンプルに生きていきたい。

いつもにこにこして、感じよく滑らかに生きていきたい。

そういう風に、理想を掲げることさえ、じわじわ自分の首を絞めるようで。


なんとか今の自分と折り合いをつけて生きていかなくては、という風に諦めるのも、

やっぱり、じわじわと自分をすり減らしていくようで。


ストレスがたまるというよりも、

少しずつ、自分が摩耗していくという感じの毎日を、

1か月くらいは続けてみたんだけれど。



想像以上に、疲れてたみたいでした。


今の自分は、やっぱり調子が悪くて寝込んでた何年か前の自分とすごく近くて、

すぐにでも、そっち側に転んでしまいそうで、

それがすごく怖くて。


そうならないよっていう約束は、どこにもなくて、

心の隅に、そんな不安をずーっと抱えてきてたみたいです。


今、落ち着いて考えてみたら、

そうならないっていう約束はないけど、

そうなるっていう約束も、たぶんない。はず。



本当にたくさん泣いて、こんなに涙があったのかっていうくらい泣いて、

少しすっきりしました。


なにも解決してないけど、

そもそも問題なんて、ないのかもしれないし。


私はきっと、死ぬまでこんな感じで、悩んだり泣いたり知らないフリをしてうまくいかなかったりを、

ずっと繰り返していくんだろう。


こんなめんどくさい自分は、とてもイヤだけど、

でも、全てがそぎ落とされてシンプルになったら、それはもう、私ではないんだしなぁ。



やっぱり、どこかで折り合いをつけるためにも、時々泣いたりするのは必要かもしれないです。



春の夜

月があんまり大きくて、自転車での帰り道は空ばかり見てた。


線香花火の最後の一粒みたいに、

今にも零れ落ちそうなほど、光ってて、

もしかして、全天はみんなあれくらい明るいのかもしれないと思う。


それじゃ眩しすぎるから、

誰かが、天蓋のように布をかぶせて、

だから、春の夜空はどことなくふんわりとしているのかも。。。



新学期が始まって1週間。

疲れすぎて、帰り道はいつも、すごいところまで意識が飛んでいる。

でも、足はぎゅむぎゅむと重いペダルを踏んでいます。


こないだ、白木蓮が声をそろえたように咲き出したと思ったら、

桜がつぼみをあっという間にほころばせて、

通学路のこでまりも、可憐に並んでいる。


そんな全部が、いちいち心に沁みてくる。



本当に沈んでいるようで、日記ばかり長くなって、頭の回転はのろのろしてて。

色々もどかしいです。


今のところ、肌の内側までぴったり自分で埋まってるけど、

声のトーンや話し方が、すごく上滑りしてて、うまく話せない。目も、合わせにくい。



だけど、できないことを数えるのはやめようって思う。

ちゃんと、できたことをひとつずつ積み上げていこうって。


1日の終わりに、いつもそう自分に言い聞かせてる。

その直後に、

明日着ていく服が選べなくて10分くらい途方に暮れて、どうしようもなく落ち込んだりもする。

夜中に何度も目が覚めてしまう。



頭では理解できてるつもりでも、心はなかなかついていけない。

隅っこの方で、ずっと小さくパニックを起こし続けてるのかもしれない。


負荷を感じつつも、この感じはよく知ってるなぁと思う。


こうして沈んだ状態の中、できることを少しずつ増やしていけたらいいなぁ。

先生も、よくそう言って、私の心をほどいてくれた。


無理に上げなくても、ゆるやかに調子が戻ってくれる日を気長に待てるように。


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