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彌生・水玉


雑音を纏いながら。-草間弥生 永遠の永遠の永遠の


生きることへの執着と、満ち溢れるエネルギー。

強烈な世界。



manacoちゃんと、草間彌生デートをしてきました。

9月以来、お互いいろんなことがありました。


うじうじ悩んだり、話を聴いてほしいと思ったり、やっぱり話せないと思ったり、

ひとりで沈んでいたのが嘘のような1日でした。



manacoちゃんに会うと、

私の中で止まっていた時間や、滞っていたものが、

みんなしゅるしゅると流れ出し、巻き戻り、自然な姿になるよう。


待ち合わせの改札を抜けて、

ホームに並んで座った時、デジャヴ!と思ったのですが、

デジャヴではなく、何年か前も、同じホームにふたりで並んだのでした。



手紙のやりとりだけじゃ、

たぶん、伝えきれないこともあるとは思うんだけど、

その分も掬いとってくれてると思える安心感。


manacoちゃんには、全部を話さなくても、

なんとなく感じとって、わかってもらえるような気がします。


ソウルメイトとか言うと嘘くさいけど、

でも、確かにそれくらい根っこが近い感じがする。





雑音を纏いながら。-草間弥生 永遠の永遠の永遠の


私の中でトゲトゲしてたのや、チクチクしてたのがみんな、

manacoちゃんのふんわりに包まれました。



もちろん、草間彌生展「永遠の永遠の永遠の」も良かったです。


美大生だろうと思われるオシャレさんがいっぱいいて、エネルギーに満ちて。

異空間に混ぎれこんだような水玉小部屋や、

宇宙へ呼び出されそうな電飾小部屋。

怖いくらいに並んだ、横顔と棘と水玉の世界。



だけど、それよりも、

manacoちゃんと会えて満たされた気持ちの方が、ぐんと大きい。


私、このままでもいいんだって思えました。

ゆらゆら漂ってたら、また春からきっと動き出せる。



今年の秋で、出会って10年。

次は、運命の住吉大社に行きたいねって約束して、小さくなる電車をいつまでも見送りました。


ただいま

春休みが始まって、そろそろ2週間。
ほとんど1年ぶりで、マイナス2の世界に戻ってこられたよう。


思ってた以上に、
毎日学校へ行くというのはエネルギーを消耗していたみたい。
そのために、かなりテンションを上げてたらしい。

特に後期は、
プリプリ怒ったり、お説教したりでぐったりでした。


ここのとこ、ずっと低空飛行。
飛ぶ必要もないのかもしれない、と思って、じーっと落ち込んだり。
こんなのも、久しぶり。

落ち込んでも、なにもいいことはないかもしれないけど、
やっと、私らしいと思えるような感じです。


怒ったり、笑ったり、泣いたり。
感情の揺れが大きいのは嫌いじゃないけど、やっぱり落ち着かない。

このまま大きく振り切れてしまうんじゃないかって、どこかで心配しています。


だから、日がな1日、本を読んだり、手紙を書いたり、
なんにもしなかったりできる日々は、とてもありがたいです。


いろいろ考えるけど、
今は、行動に移したりしないで、発酵中。



葵ちゃん「daydream believer」

境界が薄れる時

※ 暗い話ですので、苦手な方、引きずられそうな方はスルーしてください。 




***


去年の春頃まで、お付き合いしていたサマーさんが、

自死を図って、救急車で運ばれたそうです。。。



もうずっと連絡を取ってはいないのですが、

職場の先輩から、ちょこちょこ彼の話は聞いていました。


家も近いし、時々あのレモンイエローの車を見かけたりして、

元気にしてるんだって、私は思っていました。



だけど、年末に、

うつで休職したよって聞いて。

実は、もともと既往歴もあったみたい、と。


その時も、私はかなり落ち込みました。


1年近く、一緒に過ごしたのに、

自分が気づけなかったこと、何もできなかったことに。


真面目な人だなぁ、と思うことはよくあったけど、

でも、そういう風には見えなかった。

わからなかったです。



その後、復職したよ、というのを聞いて、

良かった、大丈夫になったんだとほっとしていました。


だけど、大丈夫じゃなかったんだ。




私は早い段階で、

自分自身が精神的に脆いところがある、まだ今も波があるということを、伝えていました。

そういうのがムリなら、たぶん、お付き合いは難しいと思う、と。


その時の彼の反応は、そんなに大きいものではなく、

ただ普通に、受けとめてくれたのかな、と感じました。


よく考えたら、この告白もかなり身勝手なもの。



今にして思えば、

掬い取れるサインがあったのかもしれないです。


あまり、自分のことを話す人じゃなかったけど、

時々、ゆっくり愚痴をこぼすことがあったこと。

私は、しっかり聴いてたけど、話し終わった後に彼が、

「誰かに聴いてもらったら、少しはスッキリするかと思ったけど、そうでもないんやな…」

と、ぽつっと零したこと。


あれ、本当に本心だったんだろうな。



あの時、もっとしっかり汲み取っていたらとか、

別れた後も、音信不通にしていなければとか、ずっと、ぐるぐる思っています。


私では、力不足だったんだろう。。。




手首を切ったとか、薬を飲んだとか、

失敗を想定できる方法ではなかったらしいです。


本当に、ずっと、しんどかったんだろうなぁ。



なにが原因なのか、

なにがきっかけなのかわからないので、

断片的な情報だけで、勝手に落ち込んでいます。



どこかで生きていてくれたらいい、

元気じゃなくてもいいって、思う。


でも、それも私の自己満足というか、エゴなのかもしれない。


生きてるのが辛い人を、こちら側に引き留めるのは難しいと思う。



私も、死にたくなって、死のうとしたことがあるから、

少しだけ、あの感じがわかります。

長いこと封印してたけど、去年の夏から思い出すことが多くてきついです。



あの頃、10代のおしまいの頃は、

生きてるのが本当に辛くて、でも、死ぬ元気もなくて、

惰性で、生きてる方に傾いて、ただ時間だけが流れていました。


積極的に生きているわけでも、死んでいるのでもなく、

ふたつの境界がすごくあやふやで、それなら死んだ方がマシなのかも、と、

ふらふら思って、薬をたくさん飲んでしまったんだと、今なら思います。


ぷちぷちと事務的に薬を出して、ペットボトルでラッパ飲みして、

それで、居間に横になって、起きあがれなくなって。



なんにも考えてなかったと思う。


感情が鈍磨しすぎて、気持ちと解離して、

横たわってる自分が、少し離れて見えていただけでした。



結局、私は死なずにこちら側に残り、今を生きています。



今なら、あの時死ななくて、死ねなくて本当に良かったと、心から思える。

だけど、今が辛い人は、しんどいだろうな、とも思います。



そのしんどさを知ってるのに、サマーさんに、なんにもできなかった。


私がこうして落ち込んだ分だけ、

彼が浮上したらいいのに。。。



サマーさんが生きてるという、

微かな希望を、私は大事にして、またしぶとく生きていくんだろうなぁ。


本当に、身勝手でどうしようもないけど、

でも、生きていくってそういうことなのかもしれない。



またいつか、

どこかであの車を見かけられる日が来ること、祈っています。