真夜中に家を抜け出す。
彼の声が震えていて、
私は、どうしようもなくて、家を抜け出した。
一瞬で着替えて、荷物も、お金も少なく、
11時前、こっそり家を抜け出した。
妹は、気付いていたらしいけれど。
彼に止められたけど、
今、傍に行かないと。
電車の中で、お母さんと妹にメールしたら、ありがたい返信。
「後悔せぇへんなら、そのほうが何倍もいいな。夜も遅いし、気ぃつけるんやで」
11時40分に天王寺で会えた。
仕事帰りそのままで、少しくたびれた様子。
ホテルに入って、話を詳しく聞いた。
いろんなことを話した。
彼は、やっと安心して眠ったみたいだった。
朝起きたら、隣りに寝顔があって、また眠った。
10時過ぎに、喫茶店で朝ごパンを食べながら、また話す。
私は、この人を支えよう。
してあげられることは、少ないけれど、傍にいよう。
彼のお父様の看病をする、お母様。
山口で二人で暮らしている。
もうすぐ、入院。
彼は、もしかすると山口に帰るかもしれない。
私は、そのときどうするだろう。
私が彼に出来ること。
ご飯を作って、フリーズしておいて、託す。
話を聞く。愚痴も聞く。
無理強いをしないで、ありのままの彼を受け入れる。
少しでも、彼の傍にいる。
今、
私はまた千羽鶴を折り始めている。
水は低い方に流れる。
なぜ、凶事は立て続けに起こるのか。
彼のお父様の病状が悪化したらしい。
去年の夏、
癌が見つかったと連絡を受けた時は、
本当に、何て声をかけたらいいのかわからなかった。
ただ、
私は1人で千羽鶴を折った。
家族に手伝ってもらいながら、10日もかからずに。
お盆も返上して、果てしないほどの鶴を折った。
お盆明けに、大阪駅まで彼を見送り、
お弁当と一緒に、千羽鶴を託した。
迷惑だったかもしれない。
久しぶりに乗った電車で、ふらつきながら帰った。
彼の実家は山口で、
それからも度々、帰省していた。
私に出来ることは、何もなかった。
ただ、祈るばかりだった。
幸い、手術は成功してお父様は回復なさっていった。
今年、落ち着いてきていると思っていた。
民生委員も引き受け、銀行にも復帰し、
元気にしているように、聞いていた。
お父様に面識はないけれど、
笑顔の写メールを見て、
彼と同じ空気を持った方だなと思った。
5月に入り、
彼のお祖母様が亡くなられた。
今日、
実家のお母様から連絡があったらしい。
私に転送されてきたメールの内容は、
目を瞑りたくなるようなものだった。
>腫瘍マーカーが倍近くなり、
Dr.から新薬の投与の説明がありました。
まだ、日本人ではデータが内容で副作用の心配をしています。
入院は3,4日になるようです。
彼からの追伸で、
精神的にボロボロです。
仕事、頑張ってきます。
私は、言葉を失う。
なぜ、辛い思いをしている人に追い討ちをかけるのか。
なぜ、今また再発してしまったのか。
神様は、こんなに残酷な仕打ちを用意していたのか。
水は低いほうにしか流れない。
運命は決まっている、ということか。
そんな遣り切れないものなら、
ケリ入れて、ぶっ飛ばしてやりたい。
今、
彼を突き放すことは、
私には、できない。
くまを作る。
悲しいときは、ぬいぐるみを作る。
小さい頃着ていた服を解体して、
集めてた可愛いボタンを4個そろえて、
パーツごとにチャコペンで線引いて。
小さな、くまを何体も作る。
半返し縫いで、ちくりちくりと縫いながら、
彼のことを考えてたら、親指から血が流れた。
腕を縫い終わったら、胴体にとりかかって、
少し血の付いたくまの頭を撫でた。
くまは何も喋らないし、私も何も喋らない。
ちくりちくり。
針が進む速度が速くなっていくにつれて、
私の視界はぼやけてくる。
はやく。
くまの名前を考えながら、耳をつける。
フェルトは何色にしようかな。
ビーズで目をつけたら、もうすぐ完成。
ボタンでパーツをつないでいくと、
くまが悲しい顔をする。
首にリボンを結んで、
名前小さな声で呼んだら。
私は、またくまを作るのかな。